2013年01月25日

バイクで走ってた あのころの 冬

木の芽

芽20130125.jpg

川越駅 西口 徒歩5分 やよい整体 小川です

寒いから、太陽の恵みを感じますねえ

バイクで走るのが好きで、乗り回してたころ
(暴走じゃないデス)
真のバイク好きは雨でも乗るんだ! って言って
カッパと長靴とゴム手でしっかり防水して
真のバイク好きは冬でも乗るんだ! って言って
防寒対策して
かたくなに、バイクに乗ることに、こだわってましたね

自分でいうのもなんですが
マジメな奴(やつ)がバイク乗りになると
こうなるんじゃないかなっていう、バカマジメライダーの私でした

まだ車も、持ってなかったし
バイクだけ3台持ってた
SR500、CB750KU、XL250R
友だちとどこか行く時もひとりだけバイクに乗って
冬の高速道路でも車の連中と並走したりして
手を振ってました
車の中は、ぬくぬく状態で
お菓子を食べながらニコニコ顔してて
そんな彼らを横目に
まるで修行僧のようにバイクにまたがってました

オンロードバイクに乗る時も
がっちりとしたモトクロス用のブーツを履いて
下にタイツはいて
Gパンやチノパンの上には
防寒用に作られたアルミが何層か重なって出来ている
脇チャックのアウターをはいて
スキー用に開発されたアンダーシャツ
ウールのシャツにトレーナー
ネックウォーマー
冬用ライダージャケット
手袋は、金属粉が繊維に混ざってる、ごっつく、でかいヤツ
でも
言われたほどの防寒効果はありませんでしたね
結局、バイクの防寒は、気合ですね

気合‥?
基本的に寒がりだったと思います
私より若い連中は
つなぎのキルティングを着た上に
革の上下を着るだけで
細身の体型にピッタリのシルエットで
見るからにバイク野郎を気取って
カッコイイんだけど、やせ我慢?
こだわってたんだろうねえ
なんて思いますが、さて、いかがでしょうか?

信号待ちではエンジンのフィンに両手を置いて暖をとり
風が堪(こた)える日には、そっとお腹に新聞紙(またはゴミ用ポリ袋)を入れ
いよいよという時は自販機でホットコーヒーを2本買ってポケットに突っ込み
あとは、指がかじかむまで走り、もうダメなときは休憩しました

なんでそこまでやるの?

あのころは、そんな自分だったのですね
休みの日にはバイクだったのです
バイクで走っている時はひとりです
(タンデムという二人乗りもあるけれど、基本はひとり)
グループでも、走ってる時、ヘルメットの中の私はひとり

バイクで走ってる時は、基本的には、ひとりです
とにかく、ひとりになれる空間で
走ることだけに集中する移動空間だったのです
走ってると無心になれるのでした
だからきっと何も考えたくなかったんじゃなかったのかな、あのころは
疲れきるまで走って家に帰り
風呂にゆったりつかって、ずうっと、ぼけーっと、
アタマからっぽにして
そんな休日の過ごし方をしてました
毎週のように、何回も何回も
良かったのか悪かったのか

振返れば、人生の岐路だったのかもしれません
というか
人生の冬だったのですね








posted by ogawan at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月23日

かつての OBの みんなを 見ながら

赤羽駅前 電飾樹が美しい

赤羽.jpg

昨夜の、赤羽駅
駅構内には、Ecute(エキュート)が出来ていて
人がいっぱい、いっぱい、いっぱい
完ぺきに昔の赤羽の「単なる乗換え駅」イメージは無く
都会的な街を感じさせているのに、びっくり
改札を出ると
待ち合わせの人たちの群れ、群れ、群れがすごくて
ああぁ、今晩は、忘年会とクリススマスの買物とかで
超入り乱れてるなって感じ
カラオケやら飲み屋の呼び込みも、たくさん居て
噴水近くでは
スタンドに乗せた電気ピアノを奏でながら
度胸を身につけた女の子(20代前半?)が
自作の歌を唄って、人垣が出来ていました
その、すぐ裏でも
背中丸めて座り、ギターを抱えて歌う青年がいましたが
こTらは、前に人がひとりぽつん、と、えらい対称的
夜の雑踏
人が流れていく、その先にはネオン輝く飲み屋街

居酒屋横丁の一軒
前々職のOB会だ
集まれば、集まっただけの人数分
それぞれの人生があって
しばし、一緒だったころの話に花が咲きましたね
いや、しかし
たばこを吸う人が多くてまいりました
死ぬまでやめないと豪語する人もいて‥
定年まで居て、隠居生活となったひとは
奥さんが介護で働いていて
だんなが料理を作る主婦となっていました
定年過ぎて同じところで働き続ける人は
なんだかんだ愚痴もでるけど
なじんだ職場が居心地よさそう
合併後も残ってたけど転職していった人は
名残りもあったみたいだけど
居づらかったみたい
早くに辞めて転職先で要職に就いている人は
とうとう会議が長引いて、来れなかった
みんな、生活していくことが一番
子供が成人するまで、親として支えることが一番
環境、情況と、いろいろあるけれど
なんとかやってると感じました

私も
そこを辞めてから転職して
ずっと家族を支えることに専念してきました
夢を抱えてきたから
背中を押される、きっかけがあって
今こうして、整体の店を立ち上げ
軌道に乗せようとしていますが
正直、右か左か、先のことは分かりません
でも、分からないけど
どうしたいか、どうなりたいか、という
想いを、持ち続けてきたから
これからも、変わらないで
やっていこうと考えています

みんなの姿を見て
自分の中でまた
思い直しましたね


posted by ogawan at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月30日

あたま 髪の毛の おはなし 

きのうの昼に床屋さん(3Q CUTさん)に行った。
スポーツ刈りで、サイド6ミリ、トップも合わせて下さいと依頼した。
出来上がったら、いつもより額が上がってることに気づいた。
あれれ

頭.jpg

幼稚園時代は、母がハサミと手動バリカンで髪を刈ってくれた
小学校時代は、板橋 小豆沢公園(貝塚)近くの床屋さんへ一人で通った
当時あたりまえだった「坊ちゃん刈り」がイヤでイヤで
いつもイスにすわると、店の人に
「坊ちゃん刈りにしないで、横に流して下さい」と頼んでいた
一度、床屋さんから「や〜だよ」と言われて
「え〜」と思ったけど
ほんとうに、おでこの高さで
一直線に切られて「坊ちゃん刈り」にされて
あのときは、くやしくて泣いて帰った思い出がある

中学校に上がると、男子は坊主にさせられるという
噂がながれて、ものすごく悩んだくらい
髪の毛については、無性にこだわりがあったみたいだ
結局、浦和、大谷場の中学校は、坊主じゃなかった
やれやれ

中学に上がったころ
MG5とか、整髪料が流行りだして
バイタリスというのをつけたりしたっけ
中学、高校時代は、ごくごく近所の床屋さんに通っていた
その家には学年が2つくらい上の女子がいて
たしかバレー部員だったな
私はテニス部で、コートが隣だったから覚えているよ

高校も後半になると
フォーク歌手の遠藤賢司に大、大、大、影響を受けて
生ギターを手にしてから
髪を伸ばし始め、毛先は自分で切るようになった

更に上の学校に進んでも
音楽熱は下がらず、ぐんぐん上がる一方で
生ギターを電気ギターに変えて
髪は肩にかかるほど伸びていった

(途中端折(はしょ)りますが)

髪を切って社会人になってからは
シャレっ気が出て
美容室へ行き、カットしてもらい
今度は、パーマをかけて
それが落ち着くと
やがては、ハードジェルでなぞるように
かためるようになっていった
その頃は、バイクに夢中だった
ツーリング仲間のなかには、ヘルメットをかぶり続けるから
坊主にしていた人もいたけど
さすがに、できなかった

結婚して落ち着いた頃には
髪のことは、あまり気にしなくなっていった
ある日、頭頂が薄く見えるねと
会社の同僚に言われて、気になりだした
エートネーチャンとかアラランスとか
パンフレットを取り寄せたが
なんか、べらぼうに高そう

そして、女房との会話
妻 「髪洗う前にお湯で濡らして柔らかくしてから洗髪してる?」
私 「んーん(いいや)」
妻 「じゃ、やってごらんよ」
妻 「あと、シャンプーのあとにリンスしてる?」
私 「んーん(やってない)」
妻 「じゃ、それも、やんな」
禿げるの、まだ早いよ、と思ったので
言いつけを守って
どうにか、保ってこれたかと‥

思っているんだけどなあ
あれれ


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2012年11月03日

58年立って

木漏れ日が眩しい
光.jpg

つい先日
58歳の誕生日を迎えました

誕生日とは
生んでくれた両親に感謝する日だとか
お母さんがお腹をいためて生んでくれた日なんだから
母親に感謝する日だとか
どなたかから聞いた覚えがあります

先祖をたどると、とてつもない天文学的数値になるから
こうやって居るのは
奇跡なんだよとも聞いたことがあります

親に感謝してます
そんな両親もすでにこの世を去りました

自分に与えられた奇跡‥
ワインだったら58年も熟成すると
すごい極上のものになるのかもしれないけれど
わたしのばあい、ツヤがなくなってきた感が強いなあ
からだのあちこちで
老化の兆しもちらほら出してるし
でもね
物心ついたばかりの青年のような
うぶなこころで
前を向いて歩いて行きたいって
元気な諸先輩たちを見ては
思いますね

自分には後輩に誇れる知恵も技術も
あると思えません
あっちに、ぶつかったり
こっちに、もつれかかったりして
どうにかこうにか泣き笑いして
こうして、やって来れただけです

せめて、今はもう
この手の平に乗る程度しかないかもしれない
ちっぽけな自分の居場所を
たいせつにしていこうと思っています
あとは
そこからつながったひとと
こころ通わせられたら
なかよくしていけたら
それこそが幸せかなって思っています
そういうの
いままで自分に出来なかったことで
やりたかったことなのかもしれないし

58年立って
やっと自分に素直になろうとしているのかも











posted by ogawan at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月31日

藤本義一さん 逝く

空1020.jpg

今朝のラジオで
作家の藤本義一さんが
昨夜お亡くなりになったことを知りました

79歳
いつかこういう日が来ることはわかっていたのですが

悲しいです

藤本義一さんは
才能あふれるかたでしたから
尊敬申し上げておりました

かつてホスト役を務められていた番組11PMは
25年間も続けておられたのですね

その間に執筆を脚本から小説に移され

人間模様を描く小説の数々にはとても魅せられました

放送を通じて知った
藤本さんのおしゃべりは
またそれ以上に魅せられました

次は何を言うんだろう
どうこたえるんだろう
どんな風に話されるんだろうと
いつもいつもワクワクさせられるほどでした

だから
日本中を駆け回り
ファンが集うような講演会に発展していったんだと思っています

まったくの自然体で
やわらかい物腰しと気負いのない口調でいながら
しっかりとした人生哲学が
聴く者を惹きつけました

私は当時中年のサラリーマンでした
多くの薫陶を受けたころが
なつかしく思い出されます

藤本義一さん
ありがとうございました









posted by ogawan at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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